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町づくりと東洋医学

葉山町役場に「町民の意見」を募集する箱を置いてある。町長や町議会に伝えたい事あれば=意見、 そこに投函する事出来る。 先日大分前から考えた「意見」を表明した。お返事は期待していなが・・・ zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz - 町づくりと東洋医学 - 題名の繋がりは通常連想されるものではないでしょう。 しかし、東洋医学は二千年余りの間に蓄積された東洋の知恵の宝庫でもあり、日本では過去千五百年の間国民の健康維持に貢献して来ました。そして一般人は勘違いする傾向があります:東洋「医学」と名づけられているものは「医学(あくまで現代用語)」に関するものだと思われるでしょう。 東洋医学は東洋全体の思想や概念の一部であり、この地域の出来事、統治、生活、指導(現代風:教育)などに合った知恵で人々の暮らしを助けようとするものです。 町づくりとの関係は、「町」も絶えず変化する一種の生態系だと考えれば見えてくるでしょう。 そのような立場から現在この町に28年住んでいる私はこの町=生態系が大いに病んでいると思います。小生は日本人が自分の素晴らしい文化、歴史、伝統をもう少し大切にし、何世紀の間に築きあげられた知恵を町づくりに応用される事を心から願っています。 無論、私は無知な南蛮人に過ぎませんので、日本の遺産の良さを伝えたり、薦めたりするのは日本人が適任でしょう。本来私は論ずるものでもありませんが、「医」の意味を僅かに触れたいと思います。医→つまり医者/医療に関して「説文解字」(世界初の漢字字典)にある:「医は病を治す工である」が大好きな定義です。医は経験と知恵を利用している職人技です。 又、「医」に携わる人なら、現代では通常「先生」と呼ばれます。通常日本語では「先に生まれた」のような見方されることは多いでしょうが、個人的に「先に生きる」と考えています。先生はそれについている「生徒」に対して模範を示す者だと信じたい。 その職業のランクについて広辞苑が次の文章を掲載しています:「上医は国を医(いや)す[国語晋語八] ;優れた医者は国の疾病である戦乱や弊風を治め除くもので、個人の病気を治すのはその次であるということ。」正に医は町づくりに関わるべき者と示唆しています。 「上医」を理解するには「中医」と「下医」と比較する必要あります: 「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」とあります。あるいは: • 上医は、いまだ病まざる病を医し、 • 中医は、病まんと欲するの病を医し、 • 下医は、すでに病める病を医す。 今まで出会った人の内上記のお話が殆ど何方も知らない事何時もとても不思議に思います。 是非、この町の「健康=町づくり」を優れている先生(⇒先に生きる→模範を示す存在)に指導(⇒町の「手をとって」進むべき道を一寸程でも案内=導く)して頂けましたら多くの人にとって有益であることを信じます。 以上飽くまでも小生の個人的な意見です。 トーマス鍼灸院 Thomas Blasejewicz Advertisements

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気の作用はきのせいか

又例の「治療家magazine」に少々文章を載せて頂いた。いつもの通り編集者は「少々タイトルをキャッチーにさせていただきましたので、 前回よりも多くの反響を得られるのではないかと思っております!」言っている。画像も相手が選んだ。(私の感覚では少々品が悪いと感じるが・・・) 参考まで編集前の文章もここに載せる。 http://www.chiryouka-shigoto.com/report/?p=3159 気の作用はきのせいか 東洋医学に携わって「気」の話抜きは治療者としてやっていけません。 と言いながらこれは大変複雑、深いテーマで、議論する人の異なる立場らに基いて時折大変感情的になることもあります。ここで「東洋の神秘」対「科学」の一触即発な知的戦場に僅かに触れて、そのまま全速力逃げたいと思います。 先ず、私は教育背景によってどちらかと言えば「科学派」です。 といっても日頃目にする「科学者」による東洋医学の全面的否定は、お言葉ですが、鍼灸師として頭に来ます。 無論、この話題はここで尽くせる筈はありません。冒頭に触れた「気」の事を一言だけにします。 鍼灸において、今更説明する事も必要ないでしょうが、鍼やお灸の刺激によって気の流れを変え、五藏六府の気を補ったりし、寫したりするのは治療者の仕事。治療者本人も患者も「何かが変わった」と感じる人が多いにも拘わらず、「何が」変わったかが分からないし、例の「気」の正体も凡そ不明です。ここで特に治療者と患者の「手ごたえ」にちょっと注目をしたい。 気は東洋医学では「基本物質」のひとつ。実際には物質ではないにしても、例の基本物質=気、血、水は皆体の内外に流れる特徴を共通しています。色々議論の余地はあっても、流れるものとして他の共通点は、高い(所)から低い(所)へ流れます。高いのは場所でも有り得るし、テンションの高い-低い格差でも有り得ます。 通常治療院に訪れる人は何かの形で「病気」です。つまり、「病の気」を沢山持っています。理想的な治療者は先ず病気ではない事が大前提で、出来れば「元気」(元の気)がいっぱい持っているのは望ましい。その組み合わせで治療者が常に「生きているゴミ箱」になります。つまり、患者にとって不要な大量な病の気が自分の高いレベルから治療者の低い病の気レベルへとながれ、逆に治療者の持っている沢山の元の気は元気の少ない患者へと流れます。意図的に行われている訳ではなく、高い-低いの格差で自然とおきます。治療者の仕事の一つは、その病の気の流れを受け止める事でしょう。臨床経験のある治療者ならだれでもそう言った患者から治療者に向かって流れる「病の気」経験したことあると思います。患者によって治療後に非常に疲れているのはそれを示唆しています。患者から流れて来る病の気を受けても治療者は身も心も守るため、自分の気の源=丹田が侵害されない技を身に付く必要あります。 逆に治療者は患者を「全霊」(これもまた大変面白い表現)で治療をすると、多分「気を流す」、「癒す」「○○技術を使う」などの細かい事はあまり「気にしなくて」もよいと思います。そのような姿勢で治療を臨むならば、前前回肩凝りの章で書いたように技術の細かい点は気にしなくてよい事を指しています。 古代から現代まで多数の人々は気の使い方に関する数え切れない程アドバイス/指示/教訓など残してくださいました。ありがたく受け止めるべきでしょうが、実際の臨床では前記の「全霊」をこめた治療(単なる流れ作業の仕事ではなく!)を行えば、過去数千年の伝統が自然と自分の治療に生きて来ます、治療効果に繋がります。 一方、科学は万能だと思われる数多くの科学者、取り分け元々「気」の概念がない文化圏では、「気の働きは全て気のせい=placebo効果」だと主張します。英語で論文を発表する世界では気の味方と気の敵の陣地間で攻防が実に激しい。言うまでもないでしょうが、当然どちらが正しい/間違っているとは一言で言えません。しかし、「科学者」、殊に自然科学者、は本来 empirical science (=経験科学)をやっているはずですので、目前のものを先入観なしで観察し、観察結果から結論を導くはずです。複数の文化圏を跨って多数な国々で十数世紀に亘って数えきれない人が類似の経験しているのは一応「事実」です。それを全面的、そして気楽に「すべて気のせい;その人は全て幻いを見た」だと言えるのは、科学者に相応しくない反応だと思わざるを得ません。 しかし・・・と即に反論が来ます。科学的説得力あるものは実測出来、何等かのデータで裏付ける必要あるから、気に関してそのようなデータはないよと頻繁に見られる論述です。ごもっともと賛同しながらやはり一歩下がって、全体図をもう一度見直す必要があります。測る、データ、観測などなどは間違いなく大変立派な概念ですが、現在人類が持っている「概念」や「測定技術」は測ろうとしてるものをとらえるために適切であるかどうかは立証されていません。なのに現在上記の科学者たちは「測定できていないから存在しない」と結論付ける傾向が少々幼稚な気がします。これは「科学の一種の病気:横文字でよくreductionism=過度の単純化と称されます。 もし「側的出来ていないから存在しない」の科学的事実であれば、今までの歴史を通して人類は多数の存在しないものに悩まされました。簡単な例は感染症:古代ギリシアでも古代中国、や世界中全ての人間は経験的知っていました。その恐ろしさも。中世時代のペスト大流行はいい例です(どうやら中国の商船から感染したネズミはイタリアで上陸した事は発端であった)。ヨーロッパの人口半分程犠牲になったにも拘わらず、原因は誰も知りませんでした。何しろ病原体が初めて人間の目に触れたのは、左記のペスト大流行から500年経って、ちゃんとした顕微鏡が出来てからの事です。それでペストは気のせいであったと言えるであろうか。特に当時の被害者に説得力のないお話です。 現在「気」の科学的な根拠が乏しい、若しくはない理由は、その現象を適切に測定出来る技術がないし、そして納得出来る説明するための概念(例えば古典物理学/量子力学のように)もない事を科学者たちに再度吟味して頂きたい次第です。

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私は灸式な人間

無論この表現は「旧式」と書くべきでしょうが、お灸が好きな私にとって旧式なお灸を嫌う現代社会に於いて同じ事でしょう。 外人の癖お灸が好きだ何て可笑しいじゃないか、と思う人はきっと少なくない。だがお灸は長—-い歴史を通して民間療法として大変良い成績を残してき た。つい最近まで(つまり前世紀の初め頃)患者、というよりもお灸をしたい人といえば良いしょうが、治療院に行って「灸点を降ろしてもらう」ことはお灸と言う民間療法の基本形だった。その後患者は自宅で自分の手でお灸を施した。医者の数もそれほどいなかったし、医療そのものは現在のレベルにまだ達していな かった。 しかし、お灸と言う数千年間の実績を持つ民間療法のお蔭で大勢の人は救われた。既に出来ていた病気を治療したり、未だ病気になっていないもの予防(「未病治」と言う故事がある)や国民の健康維持に大いなる貢献をした。 代替医学では数千年も前から「予防はなにより」という考えが西洋医学分野で忘れかけていた概念として最近再びの広がってきた。(現代医学に基く医療は高すぎて「国民的なよい医療制度が維持出来ない事を考えていれば「当然」の結論でしょう。)通常の体制は:人が病気になるまで待って、それから一所懸命極めて高価の治療を施し、患者をなるべく長く頻繁に***通わせる***のは「医産業の基本だ。余り賢い考え方ではないような気がする。 私は大変旧式な職業を営んでいるものですので、体調が不良の状態に傾いてしまい、あるいは特に問題がなくても予防のため自分にお灸する。もしかしたらそ れは「健康増進法」に寄り添っているかもしれない。歯医者に行くと朝晩に10~15分を掛けて丁寧に歯磨きしないと歯が皆腐ってしまう事が常識とよく言わ れる。それに比べて健康維持と予防のため一日一回足の三里にお灸するのは5分で終わる。 是非ともお灸という「体の手入れ」を再び普及する事を見たい。「お灸教室」はもう10年から提供していたが、2回した利用されなかった。 寂しいものですね・・・ http://www.einklang.com/Japanese/Teach%20Moxa.htm

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手当て - 再び

下記の文を読売新聞の投書した: (念のために関係する文章を最後にコピーした) 拝啓 私はドイツ人鍼灸師、Thomas Blasejewicz と申します。 http://www.einklang.com/ 免許は日本で取得し、約30年間臨床家として働いています。今日は貴社のサイトで 「http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=68166&from=ym 言葉を奪われた青年(3) 「誤診」明かし消えた主治医」 を読ませていただきました。 さて、ここでは鍼治療ならなんでも治せるなどの横柄で馬鹿な事は言いませんが、記事に説明された症例において「手当て」は恐らく患者を幾分救えたに違いありません。以下の文は私のfacebookページからコピーします: 「手当て 最近格好良く「医療」や「医学」と呼ばれているものは一昔前まで「手当て」と言ったものであった。 脈を診て、胸はお腹をぽんぽんと叩いたり、聴診器を当てて、手足を治療者の手で触って診察された。治療もそれこそ手を使って「施された」事が多い。職人技の出番。 今は診察、例えば血圧測定、が機械任せられ、先生はPC画面を睨んで患者を見もしない、そして「治療」は理学療法、鍼灸を含めて、何かの機械をあてる事に限ることが多くなった。 手当てより電気当てへ。 私は昔風の手当ての方がいい!」 まともに仕事するなら世界中の看護婦に聞いても答えは統一:手当ては有益。 そのような「手当て」を受けた患者、世界中何処でも恐らく同じ意見を持ちます。 私は25年ほど前に大病院で働きました。特にがん患者を沢山診ました。 末期がんで苦しんでいる患者、例外なく当時まだいた「お付き添いさん」で撫でられると「楽になる」と訴えました。 間もなく死ぬ人は格好付ける必要もないし、嘘を言っているとも思えません。 当時外科の部長に「手当ての効果」に関して聞きました: 「そんな馬鹿な話あるもんか」と答えました。 それから大分時間が経ち、今風のEBM妄想に惑わされている人達でさえが少々目覚める兆しが見えますが、 貴社のサイトで記載されているストーリは多くの患者が相変わらず医者や医療に苦しめられているのは否定しがたい事実のようです。 よろしくお願いします トーマス鍼灸院 Tel/Fax: 046-876-3077 tom@einklang.com http://www.einklang.com ///////////////////////////////////////////////////////////////////// Cure sometimes, treat often, comfort always. … Continue reading

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